北極のペンギン

来た観た聴いた

ミュージカル『GYPSY』2023年4月29日ソワレ

1週間ぶり、3回目の観劇。

観る前は、3回は多かったかな、面白い舞台だけど、またあれを観るのは辛いなと思っていた。観終わった今、お話の内容は知っているものと全く同じなのに、先週までとは全く違った感覚を抱いている。ただただ圧倒され、カーテンコールで行き場のない興奮を、溢れ出す思いを、冷めやらぬ熱を拍手に託した。これだから観劇は辞められない。

ローズのことを全然好きになんかなれないし、その行いは許容できるものではないと思っているし、独りよがりで身勝手な人だと思う。だけど、彼女の思いが私に届いてしまった。分かりたくなんかなかった、だけど避けられない普遍的な苦しみが、満たされない人生の叫びがそこにあった。

 

ローズはパワフルなステージママ。キッズショーに乱入し、他の子を押しのけて自分の子を目立たせるように要求する厄介な母親だ。

二人の娘のうち、華やかで歌やダンスの才能に恵まれた妹のジューンをスターにすると意気込んで、地味で歌やダンスの才能がない姉のルイーズはその引き立て役くらいにしか思っていない。小さな町で平穏に暮らすなんて耐えられない、子供たちの夢を叶えるのだと言って家を飛び出し、道中でバックダンサーにする男の子たちを攫い(!?)、ローズに惚れ込んだ男ハービーの助けを借りながら、ジューンを主役としたオリジナルの公演を強引に劇場に売り込んで旅をする。

子供たちのためにと全身全霊を捧げ突き進むローズが、子供の意志を確認したことはない。これがアナタの夢、そうでしょう、私が叶えてあげる、約束するわ。ずっとこの調子だ。メチャクチャなことを言っているのに、断片的には前向きで建設的で魅力的に聞こえる言葉をポンポンと矢継ぎ早に大声で捲し立てるローズのやり方は、こういう人居るよねと感じさせるリアルさがある。それが欺瞞であることは明らかなのに、その強引さから一定の成果は出してしまうから、なんだかんだ凄い人だと周りに持ち上げられてお山の大将になり、現実からはどんどん乖離していく。企業でもよくあることだ。

 

ローズの作る公演はずっと変わり映えがしないチープなキッズショーで、そのショーを披露し続けるために、十代も半ばになったであろう子供達をいつまでも小さな子供みたいに扱う。誕生日のケーキの蝋燭は10本から増えることはない。

「あの子達を寝かしつけないと」

「どんなに押さえつけても彼女たちは成長していてもう立派な女性だ。俺はあの子達を前にするとどぎまぎするよ」

「あら、まだまだ赤ちゃんよ!」

ローズとハービーの会話。

「本当のことを教えてちょうだい。あなた、歳はおいくつなの?」

「9歳!もうすぐ10歳になる、9歳!」

「こんなことが、いったい何年続いているの!」

オーディションを受けた劇場の事務員と娘たちの会話。

ローズのやっていることはおかしい。みんな分かっているのに、誰にもどうしようもできないまま、ローズの大波に攫われて置き去りにされる。

 

オーディションを受けた劇場で、母親が子離れすることを条件にジューンを女優にスカウトされる。ショービジネス界の重鎮からの提案で千載一遇の大チャンスだが、ローズはそれを拒絶する。母親から娘を引き離すなんてとさも倫理的観点から怒っているかのような詭弁を弄しているが、明らかに、実際はジューンが居なくなったら自分が困るからだ。これをきっかけにジューンはダンサーの男の子と駆け落ち、男の子たちも全員去っていった。するとローズは、今度は自分のいないジューンなど価値がないと言い放ち、自分がジューンをスターにした手腕で今度はずっと蔑ろにしてきたルイーズをスターにすると言い出す。自分が捨てられたと分かった途端、あれだけチヤホヤしてきたジューンや散々利用してきた男の子たちに罵詈雑言を浴びせるローズ。新しい夢物語を熱く語るローズ。ママの才能は自分が作ったものを素晴らしいと信じ込む才能だと語ったジューンの言葉がよぎる。

怯えたように、震えるように小さく首を横に振るルイーズがそれに抗う術はない。散々蔑ろにされてきても、母のつくる世界で生き、母を愛し、母の愛だけを求めてきたルイーズは、それでもやるしかない。しかしルイーズにジューンの真似事をさせてもうまく行くはずがなく、一家の生活はさらに厳しくなる。辿り着いた先はバーレスク。警察の目を誤魔化すためのダミーのショーの仕事だ。バーレスクでショーをやったらボードビルではおしまい、これはハービーが間違えて取ってきたのだとローズは帰ろうとするが、ルイーズが引き留める。もうここでしか演れない。ここで、本当はローズも、「おしまい」を分かっていたのだと思う。言葉の端々に、もう続けられないこと、ルイーズが本当はやりたくなくて、生きるためにやっていることを理解していることが滲んでいた。ローズはずっとめちゃくちゃを言っているけど、馬鹿ではなくて、分かっていてめちゃくちゃをやっているのだ。タチが悪い。

おしまいを受け入れるとともに、ローズはハービーにプロポーズをする。ずっと結婚を望んでいたハービーは舞い上がり、ルイーズも大喜び。公演の最終日に結婚することを約束する。しかしバーレスクでショーを終えるその日、花形ストリッパーの欠員が出る。その話を聞きつけたローズは、娘のルイーズが代打で出ると(勝手に)言い放つ。意気消沈していたローズが堰を切ったように娘のストリップショーの企画演出を始め、ルイーズは戸惑いながらも操られたかのように指示に従い準備を始める。その様子に愕然とし、限界を悟って去っていくハービー。

「ジプシー・ローズ・リー」と名乗ったルイーズはストリップの世界で才能を開花させる。ひとつの道が潰えて、ひとつの道がひらけた瞬間だった。

ステージに立つまでのルイーズの覚悟と不安の揺らぎ、ほんとうの名前とは違う芸名を口にした途端にその「役」が目覚めるその瞬間の変化、一気に花開くように変化していくルイーズがスター街道を駆け上がる様には圧倒された。自信を身につけ、今までのルイーズとは全く違う佇まいになっていくのに、一歩一歩踏みしめるたしかな説得力があった。ハービーが、ローズが「貴婦人」と呼んだルイーズは、その気品を持ち味とした妖艶なショーを自分の武器に仕上げたのだ。

 

ルイーズがストリッパーのスターになってもローズは纏わりつき、ルイーズの世話をしようとする。ルイーズは全てを自分で決めて、母の干渉を拒否する。ローズは自分が必要とされないと理解するとまた攻撃に転じる。みんなあんたのこと笑ってるわ、ヘタクソなフランス語を話し本のレビューを本だと思って読む女だって!

周囲からの眼差しが決して温かいものだけではないと理解しながら、清濁併せ呑む覚悟を持ち、今の自分は幸せだと毅然として答えるルイーズは、美しかった。

私が誰のために必死で頑張ってきたと思ってるのと縋るローズ。

「私のためだと思ってたよ、ママ」

この言葉を背に、ローズはルイーズの楽屋を後にする。

最後の苦しそうなルイーズの台詞にはルイーズの割り切れない愛憎が端的に詰まっていて、何度も噛み締めてしまう。

あなたのためと言われて、ルイーズもそれを信じてきただろうし、ローズ自身もそう信じ込んでいただろう。実際はローズ自身のためでしかないと、二人とも薄々分かっていながら、蓋をしてきただろう。だけどいつしか限界が来たとき、歪な関係の結果がたしかに実を結んでいて、そこにある結果について完全に切り離すこともできなくて

言葉にしてしまえばどこかで割り切ることになるけど、割り切りきれない絡まった気持ちが、これ以上ない形で重さを持って届いた。

 

ステージママとしてがむしゃらに努力してきたけど、みんな自分を捨てていく。自分には何もない。私なら娘たちの誰よりも上手くやれたのに、スターになれたのに、生まれるのが早過ぎて、始めるのが遅過ぎた。なぜここまで頑張ってきたのか。何のために。自問自答の果て、「私を認めて欲しかった」と吐露するローズ。その思いは、ずっとローズに認めてほしかったルイーズの思いと重なる。

楽屋から出てきたルイーズが語る「お母さんなら、何者かになっていたと思うよ。私みたいに、押し上げてくれる誰かが居たら」という言葉は、ローズがしてきたことを承認する言葉でもある。大丈夫よ、ママ、とローズを抱きしめて語りかけるルイーズに、何も解決せずとも、何かが救われるような思いだった。ルイーズが自分のコートをローズに羽織らせると、ローズがいつものようにいたずらっぽく笑う。

「同じサイズの服が着られるなんて、不思議ね」

「夢を見たの。私とあなたが並んでお揃いのドレスを着た劇場のポスターが貼ってあるの。タイトルは、マダムローズとその娘ジプシー!」

 

……とんでもない話である。

だけど、ローズの苦しみは、叫びは、決して他人事ではない。誰だって同じだ。誰だって、自分を必要として欲しくて、認めて欲しくてたまらない。人間はみんな寂しいんだ。

 

全く美化されないし露悪的でもないありのままの人間のエゴが炙り出される。情熱に溢れ、容赦なく、どうしようもない、だけどそれでも生きていく強さを持った、人生讃歌なのだと思う。今までに観たことがないような作品だった。

現在大阪公演中だが、演者さんの歌唱力も演技力も素晴らしく、どのキャラクターも懸命に舞台上で生き抜いている力強い作品。機会と勇気があったらぜひ観てほしい。

 

gypsy2023.com