北極のペンギン

来た観た聴いた

概ね三日坊主

風邪をこじらせて引きこもったのを機に、日記をつける習慣もなくなってしまった。いつもこんな感じで何事も長続きしないが、それで落ち込んだりもしないのが私の良いところだ。

かなり時間が経ってしまったものもあるが、見たものについて感想をちょこちょこ書いていたので、残しておく。

 

泉鏡花『夜叉ヶ池』/PARCO劇場

こういうタイプの舞台は久しぶりだった。個人的にはあまり好みではなかったのだけど、妖を演じるダンサーさんたちが楽しそうで生き生きしていたのがよかった。

雨乞いのために美女を裸で馬にくくりつける村人のエロコンテンツへの執着、怖すぎる。雨乞いのためという大義名分のもと正当化される狼藉。走り出したら止まらない集団心理の悍ましさを感じた。

 

ヴェルディリゴレット』/新国立劇場

シンプルな舞台セットの光の当て方やちょっとした構造の変化で場面転換をする演出がスマートで、死の海が華やかなパーティーに変化したりする示唆的で抽象的な表現がとても良かった。

リゴレットは社会的弱者で、他者から虐げられる被害者である一方で、他者を積極的にいたぶり嘲笑う加害者でもある。娘が辱めにあい怒り狂う父親を一笑に付す一方で、自分の娘を溺愛し過保護なまでに守ろうとする。そうした二面性がリゴレットの面白いところだ。相反するようでいて、足し引きで精算されるものではない、人間の清濁の生々しさがある。

それにしてもマントヴァ公爵のどこが良いのか全く理解できない。顔?でもなんていうか、堂々と威厳ある振舞をしながら、どこか満たされない淋しさを持った男が「モテる」んでしょうね……。ジルダからも、殺し屋の妹からも、哀れまれている。ずるいやつだ。

 

プッチーニトゥーランドット 』/METライブビューイング

演出が今まで観たトゥーランドットで一番好みだった!画的に華やかでメリハリが効いていて、絵画的だった。正義と美と愛のどれもが滅茶苦茶な暴力性を発揮する物語をどう纏め上げるか、表現の幅が広い作品だと思うが、美しさを突き詰めながらも残酷さから目を逸らしていないところが素晴らしかった。クライマックスで感極まるカラフとトゥーランドットの前を、俯いたティムールがリューの死体を引いて横切る演出は、なかなかショッキングだ。

演者も素晴らしくて、トゥーランドットの威厳、カラフの輝かしさ、リューの透明感、三者の声質が活きていた。特にリューは印象的な美声。また聴きたい。

 

少年社中『三人どころじゃない吉三』/紀伊國屋ホール

少年社中節が効いていて楽しかった!!元気出た。

三人吉三の時点で結構人間関係がややこしい話だと思うが、この話を下敷きに更に大胆にアレンジしているので、ちょっとだけ頭が疲れる。でもそれを上回る爽快感と面白さがあった。

ちょっと行っていない間に紀伊國屋ホールの椅子がフカフカになっていて嬉しかった。

 

Shakespeare's R&J』/東京芸術劇場

4人の男子学生が夜中に寮を抜け出してロミオとジュリエットを演じるお話。

名もない4人の学生について語られることがないまま、演じる彼らを通して彼らに触れるような、不思議な舞台だった。

演じる身体、演じる心。夜の帳に隔てられた学生の世界と芝居の世界。演じながら、現実と芝居の境界はときに曖昧になり揺らいでいくそのあわいの表現がすばらしかった。

更にこの舞台は「役を演じている学生を演じる」二重構造になっているところが、一層面白く感じられた。一度だけしか観なかったけれど、くりかえし観ることで色々な捉え方が出来そう。

 

日高川入相花王』『鷺娘』/シネマ歌舞伎

日高川入相花王のほう何も調べずに行ったので、観始めてから、道成寺だ……!と驚いた。人間が人形浄瑠璃の人形を演じる人形振りで、本当に人形にしか見えなくて面白かった……!人形遣い役の方とも息がぴったり。人形を演じるってすごく肉体的な負荷が大きそう。

鷺娘は衣装替えのたびに場面転換があって、ひとつひとつのコーディネート、舞踊、視覚効果の粋といった感じだった。

 

太宰治『新ハムレット』/PARCO劇場

一人一人のキャラクターが素朴で理解しやすくなっていて、コミカルな中にリアルな心の動きがあって、面白かった。ああ、こういう人いるなあ、と感じる。

(書き留めていた感想が消えてしまって、記憶も薄れているのだけど、ぜひまた観たいと思う舞台でした。)

 

チェーホフ『かもめ』/ナショナルシアターライブ

演出が示唆に富んでいて面白かった。観た後はずん……と重い気分になった。

登場人物が全員身勝手。最初、理解できないな〜!と思うのだけど、この人たちが抱えているどうしようもない身勝手さって普遍的なものなのかもしれないと思う。

ボリスから見たニーナって凡庸な小娘でしかないはずなのに、何が魅力なんだろうと思ったけど、自分の口で語っていたように「美しいかもめを退屈まぎれに破滅させた」だけなんだな。
彼にとって恋とは、美しい鳥や珍しい花をどうしても手に入れたいと思うような単純な欲望で、だからこそ強い衝動なのかもしれない。作家として自分は凡庸だという苦悩や葛藤がそうさせるのかもしれない。とても自己中心的な感情で、そこに敬愛はないし、彼女の内面には興味がない。

だけどニーナの愛や献身だってエゴイスティックだし、コースチャもそう、儘ならない自己認識、さみしさ、名誉欲、それを埋める他者への渇望。

なりたいものになれなくて、他者から見たらそうなれているように見える人も虚しさを抱えていて、想いを向けられる人間は想いを向ける人間を残酷に扱う。地獄みたいなハチクロ

ところで、NTLiveを観ていると、現地の観客の笑い声が入るタイミングが意味不明すぎていつも戸惑う。別のもの観てる?フルハウス

後から合成している可能性もあるけど、それなら尚更分からない……。もはや笑いのセンスの違いとかそういうレベルではない。謎です。

 

7月分に辿り着かなかったが、とりあえず1回投稿しておこうかな。

遅くならないうちにまた書きます。